2007年3月 9日 (金)

昭和南海地震で水没した下知地区

 高知市防災対策課に先日、自主防災会で今年中に作成する予定の「防災マップ」の先行事例(先行して作成されている自主防災会の事例)を見せてもらいに訪問していました。いくつか見せていただきましたが、なかなかモデルになる事例(地図)は見つかりませんでした。

 なにせ下知(しもじ)地域は、高知市中心部の東、はりまや橋から東地区です。北は久万(くま)川、東は国分川、南は堀川に囲まれた低地です。

 南海地震の想定では下知地域の震度は全体で6。震度7の地区もあると想定されています。しかも低地のうえ地盤が1メートルから2メートル沈下すると予想されています。今でも海抜ゼロメートルと言われているのです。

Shimozissinsui1946  防災対策課にて昭和南海地震時(1946年)の下知地区の写真をいただきました。五台山の山頂付近から撮影されてのでしょう。古い青柳橋があります。当時は農耕地でしたが、水没しています。その水は電車道沿いの市街地へ押し寄せ1ヶ月近く引かなかったと聞いています。

Simoziima  現在はその農地は埋められ、市街地になりました。高いビルも建設されています。しかし地盤は改良されていません。

液状化する可能性もあり、高潮堤防が崩壊しますと、下知がまた水没する可能性はありますね。

(写真はクリックしますと多少拡大します。)

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2006年12月24日 (日)

昭和南海地震での下知地区の罹災写真

 高知市防災対策課のホームページより転載させていただきました。(許可を受けています。)

 当時より住居表示は変わっており、都市計画の進展と、区画整理もその後おこなわれ、より市街化しています。しかし土地地盤は変化はしていませんし、低地であることも変わりません。

  話によりますと地震で下知地域の堤防が壊れ、そこから海の水が地域に浸入したとか。地盤は沈下していたので、浸水した水はなかなか掃けなかったとのことです。
(写真はクリックしますと拡大します。)
Godaisan (五台山より下知地区を見る。二葉町方面は水没しています。)

Hoeityo1l (宝永町付近。家屋が全半壊しています。)

 敗戦直後であり、新築まもない家屋も多くは全壊、倒壊したようです。

Hoeityo2l Shimozidenteil (浸水している写真は下知電停付近と記述されています。)

 高知市下知付近は低地であり、しかも泥や粘土が堆積した土地で地盤も弱いとされています。硬い岩盤まで30メートル掘らないと到達しないと言われています。

 低地、軟弱地盤、浸水被害を受ける地域が下知地区であり二葉町です。高台や丘もありません。しかも現在公共の避難施設は二葉町にはありません。当時と比較しても建物こそ変化しましたが、地域のおかれている条件はなんら変わりません。

(写真はどの地域であるか書かれていません。相当広域に浸水した様子がわかります。)

 当時は二葉町地域は田畑であった土地が多くありました。今は都市化されています。Shimozishinsui1 Shoimozikita19472l

(浸水は翌年の2月になっても続いていたようです。堤防が修理され、ポンプで汲み出されてようやく解消したようでした。)

Shiromichoul  城見町電停付近と写真には書かれています。

 家屋の倒壊と浸水被害。しかも敗戦直後。  現在は跡形もなく復旧し、都市化されています。普段のせわしい生活の中では、この地域がかつて昭和南海地震で大きな被害を受けたと感じることはありません。

 壊滅的な被害から、私たちの先輩市民は復興し、まちづくりをされてきました。セピヤ色の写真の画像処理をしながら眺めていますと、あらためて地震の怖さ、被害の大きさに驚きました。

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