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2006年12月24日 (日)

昭和南海地震での下知地区の罹災写真

 高知市防災対策課のホームページより転載させていただきました。(許可を受けています。)

 当時より住居表示は変わっており、都市計画の進展と、区画整理もその後おこなわれ、より市街化しています。しかし土地地盤は変化はしていませんし、低地であることも変わりません。

  話によりますと地震で下知地域の堤防が壊れ、そこから海の水が地域に浸入したとか。地盤は沈下していたので、浸水した水はなかなか掃けなかったとのことです。
(写真はクリックしますと拡大します。)
Godaisan (五台山より下知地区を見る。二葉町方面は水没しています。)

Hoeityo1l (宝永町付近。家屋が全半壊しています。)

 敗戦直後であり、新築まもない家屋も多くは全壊、倒壊したようです。

Hoeityo2l Shimozidenteil (浸水している写真は下知電停付近と記述されています。)

 高知市下知付近は低地であり、しかも泥や粘土が堆積した土地で地盤も弱いとされています。硬い岩盤まで30メートル掘らないと到達しないと言われています。

 低地、軟弱地盤、浸水被害を受ける地域が下知地区であり二葉町です。高台や丘もありません。しかも現在公共の避難施設は二葉町にはありません。当時と比較しても建物こそ変化しましたが、地域のおかれている条件はなんら変わりません。

(写真はどの地域であるか書かれていません。相当広域に浸水した様子がわかります。)

 当時は二葉町地域は田畑であった土地が多くありました。今は都市化されています。Shimozishinsui1 Shoimozikita19472l

(浸水は翌年の2月になっても続いていたようです。堤防が修理され、ポンプで汲み出されてようやく解消したようでした。)

Shiromichoul  城見町電停付近と写真には書かれています。

 家屋の倒壊と浸水被害。しかも敗戦直後。  現在は跡形もなく復旧し、都市化されています。普段のせわしい生活の中では、この地域がかつて昭和南海地震で大きな被害を受けたと感じることはありません。

 壊滅的な被害から、私たちの先輩市民は復興し、まちづくりをされてきました。セピヤ色の写真の画像処理をしながら眺めていますと、あらためて地震の怖さ、被害の大きさに驚きました。

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